The grammar of shame

恥には、特有の文法がある。

それはいつも、極端な副詞を連れてやってくる。「おまえはいつも」「おまえはけっして」「みんな」「だれも」。恥が話すとき、世界はとつぜん、例外のない場所になる。

主語のすり替え

恥のいちばん巧妙なところは、主語をすり替えることだ。

罪悪感は「わたしは悪いことをした」と言う。これは出来事についての文だ。出来事には終わりがある。あやまることもできるし、やりなおすこともできる。

けれど恥は「わたしは悪い」と言う。主語が、出来事から存在そのものへ移っている。存在には終わりがないから、恥にも終わりがない。

罪悪感は行為を責める。恥は、存在を責める。

だから恥をほどく作業は、たいてい、文法をなおす作業になる。「いつも」を「あのとき」に。「わたしは悪い」を「わたしはあのとき、こうした」に。副詞を一つずつ手放していくと、世界はまた、例外のある場所に戻ってくる。

恥を消すことはできない。けれど、恥の話し方には、いつでも口をはさむことができる。

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